10年夢blog 第10回 [GBA作品(小説)]
10年夢blog 第10回
その夜俺は夢に魘された。凄く苦しい夢の筈なのに今度は覚えていない。
だから起きたら、正直もう夢でも現実でもどうでもよくなっていた。
新田はもっともっと高い次元で思い詰めていたのだろう。でも、こうやって追いつめられていったであろうことは推測できる。自分で何とかできるはずなのに、何とかできなくて、いじけて閉じこもって…
新田のような行動に出ないように自制することはできた。いつぞやのニュースで見た、ブランデンブルク門に登った迷惑日本人男(31)のような行動にも出ないように自制することもできた。考えることぐらいはできたよ。でもこのモヤモヤ、どこに持っていけばいい。
それで結局こう思ってしまった。
畜生、あの夢のせいだ、と。
尚のこと虚しくなった。なんだかんだ言って、やっぱり俺は自分の消極的姿勢を棚に上げて何かのせいにしたいだけじゃないか(何か=夢)。いい歳して。結局猛もいい加減見放したのだろうな。
だったら、尚のこと俺は行動しなければならない。でも、俺にできる行動は…
もう何を書いたら分からなくなっていたが、そのわけの分からない由を正直にblogに書いた。
こういう場で赤裸々に書きすぎるのは自殺行為だって分かっている。でも何かを書かなければ気が収まらないように思った。その妥協が生んだ文章はこうなってしまう。
今日の夢:3/12
夢は見たのに覚えていない。苦しいものだった、悪夢だったのは覚えている。訳が分からない。
↓
その日起きたこと:
起こる前にこのblogを書いてみたけど、多分訳の分からないまま過ぎてしまう日になるのだろうな。
こんなものにお付き合いしてくれる人などいない。俺の方もコメントも何も期待していない。
…いや、どこかで期待してはいるんだけど、無理なのだろうと思っている、と言った方が正解だ。
予言通りになったのかしたのかは分からないが、訳の分からないまま一日を終えて帰宅する。
結局何かを期待していたのだろう、blogを見てみた。
コメントはなかったが、トラックバックはついていた。例の所からだった。
未来予想:3/13
10年前の歓喜は訪れましたかお客さん。
これだけかい。
俺のblogばかり余計なお世話で集中攻撃してくる上に、また10年という言葉が出てきている。正直言って挑発されているような気もする。
でも、なぜかホッとする気持ちも、正直言うとあった。
世にblogを持つ者は、こういう反応が欲しいのだろうか。たとえ「自分の考えを書き散らすのは自分の勝手、見たくなけりゃ来なければいい、ここは自分の遊び場!」などと言っている人であっても。掲示板などでの所謂「荒らし」なんかも、反応が欲しくてやっているんだと思う。結局みんな、構って欲しいのだ。
その気持ちはこのトラックバック君も同じなのかと、立場を考える余裕はこれを読んだ時点での俺にはなかった。
さて「お客さん」にしてみればどうあっても10年前と俺のことを結びつけたいらしい。以前この者が予言した歓喜の日とは3月某日。某日とはいうけれど、弥生も二週間過ぎる頃とあれば何だか気になるのだ。
ただ、たとえ某日が31日であっても、前倒ししてほしい気分だったのだ。明日くらいはいいことがないかと。
そうしたら3月14日になった。前の晩、夢は見なかった。目覚めの瞬間は真っ白い頭だった。でもすぐにモヤモヤだらけの現実を思い出した。
折角の休日の朝からなんでつまらないことに振り回されているのだろう、と思いつつ、今日があの予言の言う歓喜の日ではないかと期待もしてみる。でも現実は甘くないと思い返してまた頭を垂れてみる。
10年前の今日は何があったのだっけ。3月の今頃…何日かは忘れたけど、そうだ、それこそ、卒業論文を提出した頃だよな。重荷が下りたという意味では歓喜かもしれないけど、ベートーヴェンの交響曲第9番を聞きたくなるほどの歓喜ではなかったような気もする。
そんなことを考えてみたら、一層あの頃が懐かしくなった。その懐かしさが嬉しい気がして、懐かしさを感じられるところに行ってみたい気がしてきた。閉じこもっていてもしょうがない。
そうだ、blogを始めたときのことを思い出せ。完全に忘れるのではなくて利用してしまえ。夢も予言もなにもかも。
気がついたら、俺は家を出ていた。
(続く)
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