勇者の言霊 [その他スポーツの話のようだ]
アテネ五輪のまっただ中、皆様いかがお過ごしでしょうか。日本選手のメダルラッシュもすごい。でも競技のドラマはメダルの数ではなくて、参加者の数だけあるのです。多くの場面では勝利の瞬間に引きつけられつつも、私は全力を尽くす選手に注目するということに楽しみを見いだしているようです。
今日は柔道の井上康生選手に注目しておりました。結果は残念なものでしたし、それまでの内容面でも彼本来のびしっとした動きが見られませんでした。しかしながら大舞台を戦い抜いたわけですし、何より逃げず、湧き出る感情と戦いつつ「これからの人生に繋げていく」とコメントを残しています。
私は井上選手の言葉にはいつも感服しています。凝った言葉遣いをしているわけではないけれど、何だかいつも心に残るのですな。柔道に限らず日本の武術のいいところは力や技のみならず心の鍛錬に重きを置くことだと思うのですが、そのためか柔道の選手は言葉遣いにおいて感心させられるところが多々あります。井上選手は特に丁寧で力強い言葉を持っており、私の場合それが心に響くように思います。
政治家の気取っているわりには薄っぺらい言葉なんかよりアスリートの言葉が遙かに重い価値を生むのは、それが飾らない素の気持ちを体現している場合が多いからだと私は考えます。
試合後というのはどんな冷静な選手でも疲れているだろうし、往々にして興奮状態かもしれません。だからなかなか言葉を選んだり考え抜いたりということはほとんどできない可能性があります。ですが、だからこそ、余分な虚飾を廃したコメントが生まれる可能性も高い。選手によっては気持ちを表すには語彙が足りないかもしれないし、文法的に破綻しているかもしれない。でも彼らの言葉の多くは尊い。そう思います。
井上選手の場合、その試合直後の興奮やらなにやらある状態でも、丁寧な言葉を話すことができるのです。日々行っていることは違うけれど、自然にそのような言葉が出てくる、そんな人間には憧れを感じて止みません。不本意なオリンピックだったとは思うのですが、彼もまた最後まで勇者だったと思います。
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