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光あるところ闇あり [博物館・美術館での出来事のようだ]

 ちょっと時間が経ってしまいましたが、先日上野に行ったときのことを書きましょう。二つの展覧会を回ってきたのです。
 始めに行ったのは国立西洋美術館のラ・トゥール展でした。何せこのロレーヌの画家、現存する作品自体少ないのです。したがってこれだけの作品が集まること自体滅多にない機会というわけです。販売のため弟子やスタッフの描いた複製品もありますが、これは構図など原画の意匠を伝えるものとしての貴重さを考慮されて展示されているとのことでした。
 この展示会のポスターやチラシ、案内板には悉く「光と闇の画家」と書かれています。「光と影」ではなくて。実際暗闇の中に蝋燭一本という仄かな光源だけがあるという構図と、それにより生み出される空気がこの画家の特徴ですから。時に作者はこの闇の中に浮かぶ人物に、怖さとか弱さとか嘲りとかそういった暗い方の側面を投影させて描いているのですね。光が当たる中でそれを考えさせる。奥が深いです。
 問題は私は気分的に暗いことが続いていたときに鑑賞していたので、ちょっと長居は難しかったことですね。
 というわけで二件目へ。都美術館ではミュシャ(ムハ)展を開いていたのです。個人的に大好きな画家だし、華やかな絵を見ればまた気分も変わるかなということもありました。見れば、お馴染みのポスターはもちろん、ビスケットや石鹸の箱絵、資料用の写真、更にはアクセサリーなどの立体作品まで多種多様な作品が展示されております。パリでアール・ヌーヴォーの旗手として名声をほしいままにしていた頃のみならず、アメリカで商業ベースの活動を行っていた頃や、晩年の壮大なスラヴ叙事詩など、時代的な幅も広い。こちらも大満足の内容でした。
 しかし今回最も衝撃を受けたものは、そういった華やかさとは対極にある作品達でした。会場の一角にパステル画のコーナーがあります。もともと保存状態が悪かったものが、修復・保存技術の発展に伴いミュシャ財団が公開するようになったものです。これが全て黒だの紺だの暗いトーンで描かれており、たとえ普段我々の目にするような華麗なミュシャ作品と同じモチーフを取っているにしても、単にネガ転したとかいうのではなく、空気そのものが違って見えるのです。しかもパステルという画材の特徴を考慮してもあまりにタッチの違うこの作品群、描かれた時期はミュシャが華麗な絵画を極めていた1900年頃だというのだから驚きです。
 カタログにはオカルティズムや象徴主義の影響か?とも書かれていましたが、華麗な作品が世に出て精神的に充実していると思われていたのとまさに同じ頃、ミュシャの心に巣くったもう一つの側面があふれ出ていたのでしょう。上述したラ・トゥール展を見た後だっただけに、「光が強くなるほど、影は濃くなる」ということが思い浮かびました。栄華の中、人知れず湧き出ていた濃厚なる暗黒面。それは普段からある程度のものではなく、この時に増幅されて暗黒面となったものなのか。これまで勝手に思い描いていた繊細で華やかなミュシャのイメージが、深みを持って変わってきました。
 人は光だけでもないし、闇だけでもない。今が光の時期だと思っていてもその分同時に深い闇があるのだろうし、今が真っ暗なほど悪いようでいても光の萌芽が何かを照らしているのかもしれない。二つの印象的な絵画を見た後、今の自分に後者の恩恵があることを願います。


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